TOP時津賢児の想い > コラム from france
時津賢児コラム from france
日本の自成道の皆さんに  
 
私は2003年の6月より、フランス南西部のツルーズ市の近くに居を移した。ツルーズ市から更に南西方向に40キロ程行った田舎町のはずれだ。この地を選んだのは、暖かく豊かな素晴らしい自然に魅されたためだ。この地方の平均寿命はフランスでは最も高く、食べ物の旨いことでも有名だ。フランスで最も美しい地方の一つである。

30年のパリの都会生活で私は武道生活の基礎を築いた。これからはこの美しい自然に囲まれた当地で自成道をますます深め、外の世界に向かって大きく羽ばたいていこうという意気込みを持っている。

朝起きるとピレネー山脈を見るのが日課になった。曇ってよく見えなくても、あそこにピレネーがあると思うと、それだけでいい気持ちになる。ピレネーを見ると不思議なエネルギーを感じる。奇跡の水で有名なルルドもピレネーのふもとに位置する。アルプスと違って、ピレネーは数百キロに渡るその山脈が一望できる。近くの丘に登ると、一方の峰は地中海に他方の峰は大西洋に沈んでいく広大な峰の連なりが、そのまま目に入ってくる。スペインとフランスが、ピレネー山脈という自然の壁によって隔たれてきたという地理的事実が一目瞭然である。

私が住んでいる家からは、朝、日の出もよく見える。朝日とピレネーを前後に拝しながら木刀を振る習慣がついた。木刀は左右片手で持ち、二本を同時に使う。気功のエクササイズから工夫した私流のやり方で左右1000本振る。チャクラ素振りと名付けた。日が昇るにつれ、ピレネーの雪肌は次第にピンクに変わっていく。すばらしい眺めで、矢山さんが言うように「自然の恵み有難う」という言葉がひとりで出てくる。

この夏は友人の家に居候しながら、家探しをした。3ヶ月かけて満足できる家がやっと見つかり、12月になってようやく自分の家に入ることができた。そこからはピレネーが今までよりも更によく見えるのが気にいっている。運のいいことに、ちょっと手を入れるだけで道場として使える建物が住まいに隣接しており、1月にはここを本部道場として開く予定だ。横10メートルに縦20メートルで、広さは十分だと思う。

日本で自成道を実践される皆さんにも、機会があればこの道場で国際交流されることを勧めたい。

ヨーロッパではバカンス明けの9月がシーズン初めとなる。学校の新学期は9、10月で、スポーツ・クラブなどの年初めでもある。1月は暦における年始め、9月は社会活動における年初め、日本の4月に相当する。12月はそうした一学期の終わりに当る。
この一学期中に私はフランスではパリ、リヨン、そのほかイタリア、ベルギー、スイス、スペイン、ポルトガルで自成道を指導した。

そこではっきりと感じたのは、空手は衰退してしまったということだ。もともと空手で出発した私にとって、決して嬉しいことではないが、事実は事実として認識せねばならない。空手で出発したとは言っても、私はすでに20年以上も前から従来の空手から距離を取り、古流空手を手始めに次第に中国武術などに足を踏み入れている。
その過程における体験の中から考えたことはおいおい書くことになるだろう。
今日は空手が衰退したという実感について書いてみよう。



スペインのオスカー

11月上旬、スペイン北部のビルバオでセミナーを行なった。
私の住んでいる田舎町からピレネー山脈に沿って車で2時間走ると大西洋岸に出る。ビルバオはそこから更に1時間半である。

ビルバオではオスカーが自成道を指導している。
彼は11年前にパリのセミナーに参加し、それがきっかけで私の弟子になった。当時彼はビルバオから約80キロ西のサンタンデールという町で空手を教えていた。

話は横に逸れるが、皆さんはアルタミラという名を記憶されているだろうか。世界史の教科書の最初のページにアルタミラの洞窟画というのが出ていた。このアルタミラはサンタンデールのすぐ近くにある。

さて、オスカーは松濤館空手四段で、11年前までこのサンタンデールで80人余りの弟子を持ち、空手のプロとしてやっていた。だが、私の弟子になってから弟子の数が次第に減り、ついにプロとしてはやっていけなくなった。夜学に行きながら看護師免許を取り、昼間は看護師として病院で働き、夜は十数人に減ってしまった弟子と自成道を稽古するという生活を数年間続けることになった。
三年前にビルバオに移り、ここでは空手の枠を離れて直接に自成道のみ教え始めた。この三年のうちに弟子の数は100人に達し、自成道のプロ教師として再出発することになった。

彼が弟子になってから数年間は、私も少し悩んだものだ。なぜなら私の弟子になったがために、スペインの空手界ではマージナルになり弟子の数も減ってしまい、生活そのものの建て直しを余儀なくされたのだ。それでも彼は私についてきてくれ、時には私を逆に励ましてくれた。
「私は松濤館空手に疑問を持ち、行き詰まっていました。こんな空手は長続きしないと予感し、いろいろな師範のセミナーに出てみましたが、私の行き詰まった道を開いてくれる人には誰一人として出会うことできませんでした。そんな時、パリで先生のセミナーに参加して、これだ、これしかないと私は感じたのです。今は確かに苦境にありますが、スペインの空手事情もそのうち必ず変化してきます。何故そんなことを言うかと申しますと、私のかつての同僚であったスペイン人の空手教師の大半は、自分の空手に疑問を感じながらやっています。満足している人は皆無といっていいでしょう。ただシステムに捉えられて動きが取れないまま、ずるずると流れに乗って空手をやっているのです。先生の方法論が正しいことは明らかです。今の時点で目をそむけている人たちも目を向けざるを得なくなる日は必ず来ます。それも近い将来に必ず・・・」
弟子に励まされる私は幸せ者だというべきだろう。

今回ビルバオに行って、オスカーのいうその日は確実に近付いていると実感した。空手だけをやっていた頃とは弟子の質がガラリと変わった。年齢層はやや高く、教養のレベルの高い人が多い。女性の数もずっと増え、雰囲気はとても明るい。新しい弟子たちに囲まれるオスカーを見て私は嬉しかった。

周知のように自成道は4つの部門から成る。

1)気功  2)太極拳  3)自成武道  4)エネルギーダンス

4つの部門のうち気功、太極拳、エネルギーダンスの3部門が圧倒的に人気がある。
自成道はオスカーを通してこれからスペインで地道に伸びていくに違いない。
私はオスカーの関係で何人ものスペインの空手教師と知り合う機会を得、スペインにおける空手の状況はかなりよく把握できたと思う。

フランスを含め、イタリア、ベルギー、スイス、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国でもスペインと似た状況が生まれている。それはどういった状況だろうか?
戻る