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平和って何?
戦後の日本で育った私は、「戦争とは途轍もない悲劇で、日本は最もひどい目にあったのだ」という感覚で育ちました。小学校に行く道端に大きな穴があって、「爆弾の落ちた痕だ」と聞かされました。防空壕の跡も色々なところにありました。生家の屋根には機銃掃射の弾が当たった所もありました。
小学校の先生の中に、特に怖い先生がいて「特攻帰りだ」と言って、誰もが畏敬の目で見ていたのを思い出します。現在の日本と比べて、学校の「先生」には威信があったと思います。
私の叔父は、終戦後の8月20日に巡洋艦の撃沈によって亡くなったそうですが、細かい日にちはいい加減だと思います。
なぜこういうことを書くかと言うと、ヨーロッパにいると地球上の戦争や争いごとのニュースが身近に伝わってきます。しかもテレビでは戦前戦後のドキュメンタリーもよく見ます。太平洋戦争のことも、ヨーロッパの窓から見ると別な様相となって見えてきます。
北京オリンピックに関することも、色々な角度から見ることができます。
先般、オリンピックの聖火がパリを通過した時、チベットの人を中心にしたデモや衝突がありました。
「スポーツと政治は別物だから、はっきりと分けて考えるべきだ」という考えもありますが、ことオリンピックに関しては、もはや国際政治や経済活動と分離して捉えることはできないと私は考えます。オリンピックを主催するということはその国にとって大きな経済的メリットがあり、メダルを取るということは選手個人のトロフィーである以上に、国家的な示威行為となります。だからドーピングということが問題となる。
オリンピックでメダルを取るような人は、スポーツ的な才能がある上に、大変な努力をして練習に練習を重ねるわけですから、国際問題や政治のことなどにかまっていることはできないかも知れません。
話は飛ぶようですが、私が日本の大学生だった頃、いわゆる「大学紛争」がありました。今はどうか知りませんが、その頃「専門バカ」という言葉がはやりました。オリンピックを競技だけの角度からしか見ない人の発言を聞くと、私はこの言葉を思い出してしまいます。
オリンピックの目的は「世界平和」を作ることだと言われています。では、「平和」とは何でしょうか?その言葉の意味を考える必要があるのではないでしょうか?
パリのチベットのデモをテレビで見て、チベットと中国のことを少し調べてみました。
簡単に見てみましょう。
1) |
1950年10月7日、中国軍4万人がチベットを侵略する。
チベット人4000人が殺害され、この時から中国軍のチベット侵略が始まる。1951年9月、ラサを始めとするチベットの主要都市が占領され、チベットは完全に中国の支配下となる。 |
2) |
この頃から、チベットにおける長い戦争およびゲリラ活動が始まる。アメリカはソ連との冷戦の一端としてチベットを援助する。ミッシェル・フェンベ−グ曰く
「チベットにおける戦争そのものは非常に短い期間だったが、長いゲリラの戦いが続き(1950−1964)、数十万人のチベット人が殺害された。」
1959年より抵抗活動は一層激しくなった。 |
3) |
資料によると、数十万から百万人(別の資料では100万人を越える)におよぶチベット人が、中国軍によってこの時期に殺害されている。チベットの人口が4百万人だとすると、国民の4分の1が殺害されたことになる。(ちょっと信じがたい数値ですが、資料をそのままあげておきます)
チベットは43年前の1965年9月1日に"Région Autonome du Tibet" (RAT)として中国に編入される。 |
4) |
チベットの人口は現在大きく増加している。
1950年から60年のチベットの人口は推定2百万人。(百万人以上が殺害されたと推定される根拠の一)
1990年から2000年にかけて人口は約5百万に増加。現在では約6百万に達する。
このことは何を意味しているでしょうか? |
資料に現れる数値というのは、ある程度の解釈をして理解する必要があります。その解釈は皆さんの良識にお任せします。
日本ではどうか知りませんが、フランスにいるとチベットに対する中国の弾圧は今も続いることが報道されています。
数年前から私は社会問題からできるだけ離れるようにして生きてきましたが、そうした私でもそのような報道に接すると考えさせられます。
日本と戦争
ここで思い出すのは、何年か前に日本に帰った折、飛行機の中のニュースで日本の総理大臣が靖国神社にお参りするということに関して、中国が随分文句をつけてきたことが日本の社会問題になっていたということです。
チベット人を虐殺し、今もなお弾圧を続けている中国が、そうしたことまで口出しするという政治状況があるということ。日本はそうしたことに対して豁然とした態度を取れないでいたということ。私は疑問を感じます。
この問題は本質的には決して終わっていないのですが、日本はいつも「台風一過」のようです。
こんなことを言うと、時津は右翼だといわれるかも知れませんが、私は右翼でも左翼でもないと自認しています。
フランスのどんな小さな村に行っても、村の小さな広場に記念碑が建っています。それは第一次、第二次大戦で亡くなった人たちに対する記念碑です。「祖国のために死んでいったこの村の子供達」といった意味の言葉が刻んであります。死んでいったのは子供ではありませんが、祖国という観念からすれば、そこに生まれた者はみんな「祖国の子供」であります。好きで死んでいった者はありません。みんな家族があり、愛する人を持っていた生身の人間が死なざるをえずして、死んでいったのです。
そうした戦争をただ毛嫌いし、非難するだけでは何にもなりません。現に戦争は様々な形で今もなお色々なところで続いています。
フランスでは7月14日には大統領が凱旋門の前で、「フランスのために死んだ人々」に対する記念行事をします。それは左も右もない国の行事です。国政の最高責任者がやらずに、誰がやればよいでしょうか?あるいは、誰もやらなくていいと考える人がいるかもしれない。そういう人は、自分の愛する人が亡くなっても、涙を流す権利はない。
人間は「生死」の情を超越できるほど進化してはいません。
自分の子供や親が亡くなった時、ちゃんと葬式をして生と死のけじめをはっきりしない限り、そうした状況で自分は生きているのだという日常にかえっていくことができないと思います。
「娘が10年前に行方不明になった」というドキュメンタリーがありました。親として最も知りたいことは「一体何が起こり、娘はどうなったのか?死んだのなら、それなりのけじめをつけてやりたい。」けじめをつけるということは大切だと思います。特に、人間の生死にかかわることは、曖昧なまま放っておくことはできません。日本人なら「ちゃんと墓を作って、墓参りしてあげたい」と誰でも思うでしょう。死んだらそれまで、どうでもいいからゴミの処理場にでも捨てましょうとは誰も思いません。
死者の霊を祀るということは、生きている人間にとって大切なのだと私は思います。
靖国神社の話に戻ります。
日本人は「台風一過」で、その時は大騒ぎするけれど、過ぎてしまうと知らん顔といったところがあります。私はフランスに住んでいるせいかどうか、靖国神社の話にこだわってしまいますが、靖国神社でなくともよいのです。繰り返すようですが、人間は生死の観念を超越できるほど、まだ進化していない。だから戦没者の霊を祀ることによって、生きている人間が安心立命に向かうためのシステムがあればよいと思います。そのようなものが他にあるでしょうか?
私の住んでいる南西フランスの村の広場にも戦争の記念碑があります。
そこに刻んである戦死者の名前は誰もが日常的に見るもので、村の住民はそれを意識して見なくとも「その事実」は「当然敬意を払うべきこと」として、「日常の中」に受け入れているのです。だから今でも村祭りの際には、村の音楽隊を伴って祀ります。音楽隊にいる子供には何の意味か分からないかも知れないけれど、村の行事としてそういったことは続いています。
私はそうしたことは無意味だと思うことはできません。
私の母は今年84歳になりました。昭和20年に戦死した兄のことを話すときは、思わず涙ぐみます。人間とはそうしたものではないでしょうか?22歳という若さで死んでいった人の死は無意味だったのでしょうか?
戦没した若い人々の手紙などを読むと、日本の将来に夢を託していた気持ちがしみじみ伝わってきます。自分が無意味なことのために死ぬのだと思って誰が死ねるでしょうか?現在の日本人が、そうした厳然たる過去の「事実」を一顧だにしないとしたら、そういった人々は何のためにこの世に生まれて、死んでいったのでしょうか?
今でこそ、私も好きなことをいえますが、自分の気性からすれば、20数年前に生まれていたら、特攻隊志願で死んでいたのではないかと思います。
先に述べたように、私は、「日本は戦争で最もひどい目にあった国だ」という感覚で育ちました。
次の資料を見てください。
第二次世界大戦の結果
国名 |
軍人の死者数 |
一般人の死者数 |
総死者数 |
総人口に対する
死者数の割合 |
ソビエト |
13,600,000 |
7,500,000 |
21,100,000 |
10.0% |
ポーランド |
120,000 |
5,300,000 |
5,420,000* |
15.0% |
ユーゴスラビア |
300,000 |
1,200,000 |
1,500,000 |
10.0% |
ドイツ |
4,000,000 |
3,000,000 |
7,000,000 |
12.0% |
日本 |
2,700,000 |
300,000 |
3,000,000 |
4.0% |
イタリア |
300,000 |
100,000 |
400,000 |
1.0% |
フランス |
250,000 |
350,000 |
600,000 |
1.5% |
英国 |
326,000 |
62,000 |
388,000 |
0.8% |
アメリカ |
300,000 |
− |
300,000 |
0.2% |
中国 |
6,000,000,と,20,000,000 |
− |
マーク・ヌス著「第二次世界大戦の結果」より
・ユダヤ人300万人を含む(*)
・ソビエトにおける死亡者数は2千100万人
・この他、ユダヤ人の死亡者数は600万人
・ヨーロッパ人の死亡者総計は1千500万人
・ヴェトナム戦争における死亡者数は、およそ150万人
何でも数で計算するのは当を得ないこともあるでしょうが、それはさておいて、数を見て下さい。
最もひどい目にあったと思っていた日本の死者数は3百万人で人口の4%。
日本人の意識には上ってき難いソ連では2千500万人で人口の10%、
ポーランドは人口の15%、そのうち300万人がユダヤ人。
アメリカは30万人で人口の0.2%。
こうしたコメントはもう抜きにして、表を見て自分の頭と心で考えてみてください。
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